パンセの広場

心身の成長と子どもの暴力(2)

2009年10月25日


 生のエネルギーの暴発から子どもを護るために

(児童心理2007年10月臨時増刊No.867, p.28-36, 金子書房)





  「仕切り」と「踏み越え」

  本誌編集顧問の真仁田昭先生がある折りに,人間は仕切られるから越えようとするのだと言っておられた(真仁田 2007)。暴力(行動)にはしる子どもの足下にひろがる闇を照らす,示唆に富む指摘だと思う。中井(2004)のいう「踏み越え」と「踏みとどまり」に も繋がる。なぜ踏みとどまらず一線を越えようとするか。犯罪,暴力にかぎらず,行動,生きること,新たな地平への踏み出し(子どもの発達)は,それを抑え る「仕切り」を前提とする。仕切られることで護られ感と生きている実感を確信できるなら,「仕切り」を踏み越える必要はない。仕切りの圧迫で息苦しさが増 したり,仕切りの綻びがひどくなると,われわれは生のエネルギーに押されてその一線を越えようとする。

 子どもたちの「踏み越え」は暴力 だけにかぎらない。思春期の女の子がピアスに踏み出すとき,ごく普通の女子高生が援助交際に踏み切るときや,車内での化粧,地べた族に転じるときにも, 「仕切り」の一線を越える同じような感覚がかすかに感じられたにちがいない。中井(2004)はこのような行動化の原型イメージを「ファースト・キッス」 に求めている。その一瞬を理路整然と言葉で説明した途端に,大事なものが壊れてしまう。未知の世界に手探りで乗り出す。行動には常に未来への不安と期待が つきまとう。生きることの闇が口を開けて待ちかまえている。言葉にできるのは,通り過ぎたばかりの現在と過去だけだ。「踏み越え」の先まで読んだのでは 「踏み越え」にならない。

 子どもたちに「踏み越え」を容易にさせる原因を,コンピュータ・ゲームに求めようとする人がいる。リセットす れば,何度でもやり直しがきく。たしかに原因のひとつかもしれないが,問題の根はもっと深いような気がする。社会そのものがいたるところでボーダーレス化 しているからである。内部と外部,昼と夜,昨日と今日,自己と周囲,身内とよそ,健康と病,現実とヴァーチャル…。かつてははっきりしていた「仕切り線」 が,時間や空間,国の内外はおろか,生と死の境ですら曖昧になっている。だから,若者たちはウォークマンで聴覚を遮断して,自己を周囲から仕切ろうとする のではあるまいか。不登校や引きこもりにも,自分を周囲から仕切って護ろうとする一面があるのかもしれない。自閉や抑うつにもプラスの側面がないわけでは ない。発達障害にマイナスの側面しかみないのは,開拓(development)強迫という病に侵された時代精神の妄想という一面もある。蝶々が繭を破っ てメタモルフォーゼするには,それ相当の「籠もり」が必要だし,殻を破るにはエネルギーが要る。子どもが発達の関門を越える時も同じである。

  村上龍の小説のなかに,ごく普通の女子高生が援助交際を決心する場面がある。“…大切だと思ったことが,寝て起きてテレビ見てラジオ聞いて雑誌をめくって 誰かと話をしているうちに本当に簡単に消えてしまう。去年の夏,『アンネの日記』のドキュメンタリーをNHKの衛星放送で見て,恐くて,でも感動して,泣 いた。次の日の午前中,「バイト」のため『JJ』を見ていたら,心が既にツルンとしているのに自分で気付いた。『アンネの日記』のドキュメンタリーを見終 わって…それが翌日には完全に平穏になって,シャンプーできれいに洗い流したみたいに,心がツルンとして,「あの時は何かおかしかったんだ」と自分の中で 「何かが,済んだ」ような感じになってしまっているのが,不思議で,イヤだった。”(村上 1997)。

 だから,少女は宝石売り場で目 にとまった指輪を買うために,援助交際を決心する。無感動に流れていく時間を「仕切って」,「今」を自分に刻みつけるために,一線を踏み越える。それは, 愛情に飢えた子が,万引き,過食,ピアス,Tatooに踏み越えていく場面にも共通している。子どもたちは,壊れた「仕切り」の補修をしているのかもしれ ない。自分たちを護ってくれていた社会の「仕切り」が壊れてしまったのなら,自己流と言われようと,新たな「仕切り」で自分の存在領域を確保して,生きて いる証を自分に刻むしかない。それが自分の心身に対する哀しい暴力であったとしても。


「仕切り」と「踏みとどまり」

 相撲の土俵を思い出してみてほしい。円形の仕切り線で囲まれた土俵の中央に,力士を隔てる二本の仕切り線が引かれている。この二種類の「仕切り線」が,子どもの暴力や「踏み越え」リスクを最小限にくい止める方策を考えるうえで,われわれに大きな示唆を与えてくれる。

  円形の仕切り線(土俵)は力士を観客から分ける。土俵は闘いの場と日常社会の結界(仕切り)なのである。土俵のなかでなら暴力をふるってもよい。と言うよ りむしろ,暴力化する生のエネルギーは仕切り線で封印されることによって「暴力」の汚名を免れる。土俵を踏み越えたら「負け」となるのは,結界の外では, 同じエネルギーが「暴力」とみなされるからだと考えれば納得がいく。結界で封鎖されることによって,生のエネルギーは浄化され,護られるのである。

  相撲には,もうひとつの仕切り線(土俵内に引かれた二本の仕切り線)がある。力士は土俵に護られたうえで,その中に引かれた二本の仕切り線によって互いに 隔てられ,時が熟すまで「仕切り」を繰り返す。ギリギリまで生のエネルギー放出に歯止めがかけられ,「踏みとどまり」を求められる。それが力士の瞬発力に 火を付ける。仕切られるからこそ越えようとする。行司が発する「八卦よい」は機が熟したことの告知で,その合図が生のエネルギー(気)放出を煽る。

  踏み越えようとする子どもにも,相撲同様,一方で,“今ここ以外ではダメだ”と禁止する,大人の仕切り(土俵)が必要なのだ。禁止されたことで,子どもは 反発するかもしれない。だが同時に,護られているという実感も味わう。この護られ感は,“自分で事の是非をよく考えなさい”と思考力による自省を促された ときよりも,行動を仕切られたときの方が強い。「心が読めない」と言われるアスペルガー症候群の子どもの場合には,この傾向がいっそう強く現れる。行動を 仕切られることで安心感が増すのであろう。その分だけ「踏みとどまり」が容易になる。ボーダーレス化で情報過多の高波にさらされ易くなった社会を生き抜く には,外堀を固めるように行動の仕切り線を補強することが,無謀な「踏み越え」(生のエネルギー暴発:暴力)から子どもを護ることになる。

しかし,暴発化を恐れて,生のエネルギーの細部にまで禁止の歯止めをかけすぎては,子どもが去勢されてしまう。過剰な規制はかえって暴発を促す。外堀で護 られたその内側では,子どもが生のエネルギーを放出するのを見護るのが肝要であろう。そこで意味をもつのが,土俵のなかに引かれた二本の仕切り線である。 「仕切り」,睨み合いの繰り返しは,エネルギーの放出に一定のリズムと安定した「ゆらぎ」(中井 2004 前掲)をもたらす。四季の行事や通過儀礼で,子どもの生活時間に節目をつける意味がそこにある。行動の反復が,ノイズに充ちた子どもの日常に「仕切り」の リズムをもたらし,それが,生のエネルギーを「思考」へと誘うからである。生活ノイズに過敏な子が未熟さゆえに引き起こす悲惨なエネルギーの暴発。彼らに 「踏みとどまり」を教えるには,外堀に護られたモラトリアムの土俵と,そこに引かれた仕切り線による「行動」の飼い慣らしが必要なのだ。


自分に優しくするのが難しい

  子どもが引き起こす生のエネルギー暴発が悲惨なのは,それが結果的に,子ども自身の心身を深く傷つけていることに,彼らがあまりに無自覚だからではないだ ろうか。自分に優しくすることがどういうことか分からなくなっている子が多すぎる。これは,われわれ大人にも言えることかも知れない。自信過剰なようにみ える子が,「頑張る」とか「むかつく」を口にしながら,平然と自分で自分の心と身体を傷つけている。自分が騎乗している馬のことを信用していない騎手 (Valery 1938)のようだ。甘えることは知っていても,自分を信用することができない人ほど不幸な人はいない。どうすれば, 子どもが自分に優しくなれるか。大人はそれをもっと考えなくてはいけないような気がする。



文 献

Foucault, M. 1975:Surveiller et Punir―Naissance de la Prison―. Gallimard, Paris. 〔 田村俶訳1977『監獄の誕生』,新潮社〕
中井久夫 1999:西欧精神医学背景史.みすず書房.
角山富雄2007:軽度発達障害にみられる遅れとはいえない言葉の軽微な徴候―発見のポイントと対 応のコツ―.現代のエスプリNo.476. 特集「スペクトラムとしての軽度発達障害Ⅱ」p.76-84.
Alain 1941 : Elements de philosophie. Gallimard. (folio essais 1990).
真仁田昭 2007:personal communication.
中井久夫 2004 :「踏み越え」について.(『徴候・記憶・外傷』所収).みすず書房.
村上 龍 1997:ラブ&ポップ―トパーズⅡ―. 幻冬舎文庫.
Valery, P. 1938 : Degas Dance Dessin. Editions Gallimard.







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■外傷記憶について
■KYについて(1)
■心身の成長と子どもの暴力(1):「児童心理」掲載
■心身の成長と子どもの暴力(2):「児童心理」掲載





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