パンセの広場

外傷記憶(1)

2010年 2月 8日


 忘れたいのに忘れられない。重苦しい感情のベールにつつまれた記憶。

それが顕れただけで,中身を点検することもできず, 気分が落ち込んで,身動きがつかなくなり,外出する気分も失せていく。

自分ではどうすることもできない。

“どうして急に思い出したのだろう”。

徒労だと分 かっていながら,それを繰り返し考えてしまい,そんな自分に戸惑うばかりで,動悸がしたり,脚が宙をさまよっているような奇妙な感覚に襲われたり,呼吸が はやくなったり,ときには,考えることはおろか,食べること,眠ることすらままならなくなる。

「うつ」になったのだろうか。

これがパニック障害っていうものなのか……。


 外傷記憶,トラウマとは,ことほど左様に厄介なものです。

放置しておくと,それまでの生活が自分からどんどん遠退いていき,先のみえない不安にさいなまれることもあります。

はじめて体験する人には,自分のなかで何が起きているのかが分からない。かと言って,人にどう話した ら分かってもらえるのかも分からない。

無視されたら落ち込むでしょうし,妙な顔をされたら余計に傷つきます。

どうしたらいいのか。それとどう折り合いをつ けたらいいのか分からないのがつらいのです。


 外傷記憶には「遺跡の発掘」と似たところがあるように思います。

道路工事をしていて,地下から古代の遺跡が姿をあらわしたら,調査のため,工事はおろか 車や人の通行すら遮断されます。

調査が終わって埋め直され,元の町並みになれば,いつも通りの生活が戻ってきますが,重要な遺跡の場合は,保存のために町並み全体を変えなければならなくなります。

「○○遺跡」と呼ばれているところなどは,おおかた以前は畑や田んぼだったわけで,遺跡の発掘によって近隣の人 たちの生活もおおきく様変わりしたに違いありません。

それをよろこんでいる人もいるでしょうが,迷惑に感じている人だっているはずです。


 外傷記憶も同じことです。

違うのは,外傷記憶はたいていの場合,当事者に迷惑がられるということです(よろこばれる記憶は「外傷記憶」とは呼ばないだけ のことですが)。

というわけで,外傷記憶にみまわれたら,その記憶がどういうものだったかを調べ直し,上手に埋め直せば済むのか,それとも,こころのなかに,その記憶のための新たな記念碑,つまり居場所をつくってあげるべきなのかを判断する必要がでてきます。

自分ひとりでその判断がつけば,それにこしたことはありません。

しかし,遺跡の調査と同じで,専門家の知恵と技術が必要な場合も少なくないと思います。


 大事なのは,外傷記憶を悪者扱 いしないことです。

悪者扱いは,度の過ぎるデオドラントと同じです。

無臭,無香,無菌の空間に拘りすぎると,かえって生活が窮屈になるのは誰もが知ってい ることだからです。

……湘南茅ヶ崎の海にはポリネシアの海のような透明さはありません。

都市化の波に洗われた海です。でも,そこに吹く海風には,東京とは 違う匂いがあります。

東海道線で保土ヶ谷と戸塚の間にあるトンネルを過ぎると,空気の匂いが違うのを感じます。


 そういう仄かな潮風の匂いを,外傷記憶のなかに聴くことができたら,少しは気分が楽になるのかもしれません。


(つづく)






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■外傷記憶について
■KYについて(1)
■心身の成長と子どもの暴力(1):「児童心理」掲載
■心身の成長と子どもの暴力(2):「児童心理」掲載





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